20年を振り返る (Retrospective)

Toshiaki Takada
7 min readSep 6, 2021

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今日 2021年 9月 6日 米国は Labor Day の祝日です。 ちょうど 20年前の 2001年 9月 5日、妻と長女と私は太平洋を渡り California へ引っ越してきました。長女は当時 3歳9か月でした。

その 6日後、あの terrorist attack が起きたのです。

2001 年 3月、私は米国 IP Infusion, Inc. (San Jose, CA) の job offer を受け 4月から H1B visa の申請手続きを進めていました。 8月には visa の approval が出たので、米国での住居などの手配のため単身 California に渡り家探しをしました。2週間くらいの滞在期間中なんとか Campbell の一軒家を借りることができたので、その後一旦日本に帰国。家族と合流したあと、世田谷で 2年間住んでたマンションの売却・引き渡しの最後の手続きを終え 9月5日に成田から San Jose へ向かったのでした。(当時は成田 — San Jose 間を American Airlines の便が飛んでいた)。

成田空港で San Jose 便への搭乗を待つ長女と AA

妻も長女も米国は初めて、私は 1995年になんちゃって駐在で Bay Area に 1年3ヶ月滞在した経験があったので、土地勘はかなりありました。とはいえ、家を借りたばかりで引っ越し荷物のほとんどは船便ですので、家にはまともな家具が一つもありませんでした。食事はテーブルが無かったのでコーヒーメーカの空箱の上に紙皿を載せて済ませていましたし、 ベッドは Aero Bed を使っていました。当時の米国は日本よりも broadband の普及は遅れており、且つ rent した Campbell の家には高速の ADSL service は利用できない地域でした。加えて引っ越したばかりだったので当初は dial-up が家からの唯一の Internet 接続環境でした。もちろん TV も新聞もまだありません。

Campbell の家で食事 (cereal と機内食の残りのパン)

9月11日の朝、まだ家族は寝てましたが自分だけ起きて、dial-up で自分の個人 email server (当時はまだ日本の実家に server を置き SMTP/IMAP and DNS server を走らせていた、まだ Gmail が存在しない時代) に接続し email を読んでいました。その中に中学以来の親友から email が届いていました。何やら興奮した様子で「おい、アメリカがテロにあって大変なことになってるけど大丈夫か?」と。やれやれまた何を言ってんだろうか。彼はアニメ特撮好きのヲタなので (話は合いますが) いつもの冗談だろうと思い、その時は特に気にもとめませんでしたし web 上で news などは check しませんでした。Twitter などの social はもちろんありませんし smart phone もありません。米国で使える普通の携帯電話さえ持っていませんでした。

最初の American Airlines の航空機が World Trade Center の north tower に crash したのは Eastern Time の朝 8:45 くらいだったと思います。つまり Pacific Time では朝 6時よりちょっと前です。友人の email はそのことを伝えようとしたのでしょう。それまで聞いたことの無いような規模の terrorist attack がアメリカ(主語) で起きたので N.Y. だろうと、San Jose だろうと日本にいる人からすれば心配するのは当然だと思います。ただその時点では私も家族もその友人以上の情報を持っていませんでしたので、ごく普通に朝食を済ませて車を運転し office に向かいました。

Office に着くと何やら同僚が集まって話をしています。聞いてみると N.Y. でビルに航空機が突っ込んで大変なことになっているというではありませんか。そのせいで全ての航空機の米国発着便が止まっており、かなり混乱している様子を理解しました。残念ながら office には TV がありませんでしたし、当時の web はまだ動画を簡単に貼り付けられるような時代では無かったので (YouTube はまだ無かった) news site で断片的な写真は見たもののまだピンと来てなかったと思います。

San Jose Mercury News 09/11/2001 号外

落ち着かない気持ちのまま office で仕事をしていましたが、同僚も家族のことが心配で皆早い時間に家に帰ったと思います。私は家に帰っても TV が無いので、帰りに Fry’s Electronics に寄り道をし、店内に展示されている TV で初めて American Airlines の航空機が World Trace Center のビルに突っ込む映像を見ました。もちろん衝撃的でしたがそれでもまだ east coast で起きている terrorist attack は California に住む私には 100% 実感できていませんでした。周りに知り合いもほとんどいない中、この土地に引っ越してきてから僅か 6日で (その前の駐在経験があったにせよ) 家族との生活を立ち上げなければならないその時期に、大陸の反対側で起きた terrorist attack のことに心配を向けるほどには余裕がありませんでした。

その後数か月、米国内はどこで何が起こるか分からないという警戒の気持ちから大都市ではかなりピリピリしていたと思います。それから徐々に平静を取り戻していきますが、いずれにせよ我々にとっての米国生活は 100% が After 911 の米国でした。あの事件を境に米国は大きく変わったのは間違いないと思います。しかし私にとって、それ以前の米国の experience が限られているためこの大きな変化を主体的に実感できないまま生きてきたように思います。

昨年からの COVID-19 による pandemic 、米国だけでなく世界中が panic になっていると言っても良いと思います。20年前の terrorist attack で米国は大きく変わったものの、私はその変化を米国民と同じように感じることはできませんでした。一方、今回の pandemic による社会の変化、 20年前とは違いその大きな変化と不安・危機感を感じています。ちょうど我々はその大きな変化と大きな変化の間のある意味安定した “21世紀のアメリカ” で暮らしてきたのだなぁと、この20年間を振り返っています。

San Jose Mercury News 09/11/2001 号外 (p2-p3)

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